東京は日本橋。ここでは日本で一番巡拝が短時間に参拝できる(=神社間の距離が短い)七福神巡りができます。神社間の距離が数百メートルで散歩にほどよい距離です。日本橋はグルメスポットも多数あり、デートプランに取り入れるのもオススメです。普段御朱印集めに興味がない方も、七福神だけなら集めてみようかなという気になりませんか?私は集めたくなり生まれて初めて御朱印帳を買いました。お試しデートしてみましたのでレポートします。
日本橋七福神巡りの対象神社(オススメ参拝経路順)
まずは簡単に巡る神社のご紹介。紹介する内容は「日本橋七福神めぐり公式サイト」からの引用、抜粋、要約です。
小網神社(福禄寿)
健康長寿の福禄寿と財運向上・学芸成就の弁財天は、神社と同じ 境内地にあった万福寿寺におまつりされていました。稲荷神を主 祭神とする小網神社は約550年前の文正元年(1466)悪疫鎮静の 神として鎮座。太田道灌公の崇敬も篤く、社名も道灌公が名づけ たといわれます。社殿(昭和4年建立)が戦災を免れたり、同神社 の御守を受け戦地に赴いた兵士全員が無事帰還したことなどから、 近年「強運厄除の神」として信仰を集めています。
中央区日本橋小網町16-23
日本橋七福神めぐり 公式サイト (nihonbashi-shichifukujin.gr.jp)
茶ノ木神社(布袋尊)
「お茶ノ木様」と町内の人に親しまれている茶ノ木神社の御祭伸 は倉稲魂大神。昔この土地は徳川時代約三千坪に及ぶ下総佐倉の 城主(十八万石)大老堀田家の上屋敷であって、この神社はその 守護神として祀られたものである。社の周囲に巡らされた土提芝 の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植込まれ、芝と茶の木 の緑が実に見事であったと伝えられている。今でも防災・生産の 神様として信仰を集めている。
中央区日本橋人形町1-12-11
日本橋七福神めぐり 公式サイト (nihonbashi-shichifukujin.gr.jp)
宝生弁財天 水天宮境内(弁財天)
久留米藩第9代藩主、有馬頼徳公「ありま・よりのり」が、加賀 藩第11代藩主、前田斉広公「まえだ・なりなが」と、宝生流能楽 の技を競われた際、弁財天に願をかけ、見事に勝利を収め、それ 以来、宝生弁財天と敬われている。芸事をはじめ学業・金運のご 利益が名高いと現在に至るまで篤く信仰されている。また、水天 宮本殿についても文政元年(1818)に江戸上屋敷(三田赤羽橋) の邸内に祀ったことが始まり。
中央区日本橋蠣殻町2-4-1
日本橋七福神めぐり 公式サイト (nihonbashi-shichifukujin.gr.jp)
松島神社(大国神)
創建は口伝によると、鎌倉時代の元亨(1321) 以前と推定される。 昔この辺りが入り海であった頃小島があり、柴田家の祖先が下総 の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎掲げる 燈火を目標に、舟人が航海の安全を得たと伝えられる。天正13 年(1585) 2月13日、邸宅を公開。島内松樹鬱蒼たるにより、人々 松島稲荷大明神と唱えた。御祭神は大国主神をはじめ、ご神格の 高い神様が、14柱と他社に比べて多い。
中央区日本橋人形町2-15-2
日本橋七福神めぐり 公式サイト (nihonbashi-shichifukujin.gr.jp)
末廣神社(毘沙門天)
当社は慶長元年(1596)以前に稲荷祠として鎮座。この地にあっ た葭原(吉原)の氏神として信仰された。延宝3年の社殿修復の 際に中啓(末廣扇)が見つかったことから末廣神社と名付けられる。 幕府に仕える武家からの崇敬も篤く、旗下火消頭に庇護や祭事の 奉仕もさせている。毘沙門天の御神徳は勝運向上が有名だが、そ の昔当社は疫病鎮めの信仰も集めたことから病気平癒はもちろん、 厄除け、財運向上、福徳繁栄など多聞天の別名のとおり、今では様々 な御神徳を求めて祈願する参拝客が多い。
中央区日本橋人形町2-25-20
日本橋七福神めぐり 公式サイト (nihonbashi-shichifukujin.gr.jp)
笠間稲荷神社(寿老神)
日本三大稲荷のひとつ茨城県・笠間稲荷神社は笠間藩主牧野家に より代々厚い信仰が寄せられてきた。江戸時代末期安政6年 (1859年)藩主牧野真直公が笠間から御分霊を江戸下屋敷(当地) に奉斎したのが始まり。以降、牧野家のみならず日本橋魚河岸の 守り神として、五穀・水産・殖産興業の守護神として商人庶民問わず広く信仰を集めた。寿老神は長寿の神にしてお導きの神・幸 運の神として人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神です。
中央区日本橋浜町2-11-6
日本橋七福神めぐり 公式サイト (nihonbashi-shichifukujin.gr.jp)
椙森神社(恵比寿神)
遠く一千年の昔創建にして、天慶三年(1940) 田原藤太秀郷戦勝 を祈願し強敵を亡ぼす、偏に神助に依ることと、白銀の狐像を奉 納す。文正の頃、関東一帯連年旱魃ありて、太田道灌、当社に詣 で乞い祈らばその霊験あり、尊敬のあまり山城国稲荷山五社大神 を祭祀す。特に神道家の吉川惟足は信仰厚く、五社稲荷の一社な る大己貴大神の御宣託に依り、恵比寿大神を奉斎せられ、今日に 至るも年々盛大に、祭典を執行せり(10月19・20日)。江戸時代 の富興行を記念した富塚があり、宝くじ祈願の参拝者も多い。
中央区日本橋堀留町1-10-2
日本橋七福神めぐり 公式サイト (nihonbashi-shichifukujin.gr.jp)
2024年2月1日七福神巡りレポート
実際に回ってみました。混雑具合や雰囲気など感じてもらえると幸いです。
コース概要
スタートの小網神社から各神社を周りゴールの椙森神社まで寄り道せずに回ると約2.2kmです。どの神社もこじんまりとしているので、神社内を多少歩き回っても3km満たないくらいな距離感です。
実際に参拝してみた
①小網神社(福禄寿)
人形町駅を出てすぐに小網神社がある。2月に入ったというのにいきなり行列(100人以上)が見えました。連れがこの行列を見て「七福神巡りしなくてもいい」と言い出し不穏な空気が一瞬漂いましたが、とりあえず並んでみることにした。15分ほど待ち参拝しました。福禄寿の像があり、みな頭をなでていました。私もなでなで、ご利益がありますように。
生まれて初めて御朱印帳を買おうと思いましたがすべて売り切れでした。ここでは御朱印の紙をいただき(500円)あとで御朱印帳に貼ることにしました。事前にお気に入りの御朱印帳を購入しておくといいと思います。私はその後、東急ハンズで購入しました。
②茶ノ木神社(布袋尊)
小網神社から茶ノ木神社に向かいます。400m(5分)ほどの距離です。かなりこじんまりとした神社で、10人ほどの人がいるだけで行列はなくほっとしました。参拝の後、御朱印の紙(500円)をいただきました。
③宝生弁財天 水天宮境内(弁財天)
茶ノ木神社から水天宮に移動します。300mくらいの距離でビルの中にあります。水天宮前駅があるくらいの、大きめな神社になります。ご覧の通り混んではいませんでした。こちらも参拝し、御朱印の紙(500円)をいただきました。七福神用の御朱印は少ししょぼいですね笑
④松島神社(大国神)
水天宮から松島神社に移動します。300mくらいです。ここも混んではいませんでした。最初の小網神社であきらめなくてよかったです。ここもビルの中にある小さな神社です。御朱印の紙(500円)をいただき次へ向かいます。
⑤末廣神社(毘沙門天)
松島神社から末廣神社に移動します。ここも距離は300mくらいです。若干混雑してました。参拝と御朱印の紙(500円)をもらうのにそれぞれ10分ずつくらい待ちました。上杉謙信の旗印にも使われた毘沙門天の「毘」。男性に人気の神様ではないかと思います。
⑥笠間稲荷神社(寿老神)
末廣神社から笠間稲荷神社に移動します。250mくらいの距離です。参拝客はやや多めでした。途中で神主さん?が行列を見に出て来ました。その後、横柄な態度で行列を割って屋内に戻っていく姿を見て残念な気持ちになりました。横柄なつもりはないのかもしれませんが、そう見られるふるまいはいかがなものでしょうね・・・御朱印の紙(500円)をいただき次へ向かいます。
⑦椙森神社(恵比寿神)
笠間稲荷神社から椙森神社に移動します。最後は少し距離があります。約800mほど。全く混雑していませんでした。最後の御朱印の紙(500円)をいただき、無事七福神巡りによる御朱印が集まりました。総歩行距離は3km位だと思いますが、待ち時間も入れほどよい疲労感で、運動不足の私にはよい運動にもなりました。
疲れた体を食事で回復(ベローチェ、魚食堂きてれつ、鳴門鯛焼本舗)
ひと回りし疲れた体を喫茶店(ベローチェ)で休め、どこで食事をするかネットで検索しました。「魚食堂きてれつ」という店が人気ありそうなので行ってみました。1200円で美味しい魚の定食をいただくことができました。満足です。そしてデザートには「鳴門鯛焼本舗(人形町店)」で鯛焼をいただき、他の街へ消えました。楽しかったです~
御朱印帳は事前に購入しておくことをお勧め
現地で御朱印帳を買おうと思っていましたが、売り切れていました。紙の御朱印をくれるので後で貼り付ければよいのですが、事前にかわいらしいものや気に入ったデザインのものを購入しておくのもよいかもしれません。私たちは当日参拝後にハンズで購入しました。(でも紙の御朱印をもらえるので私たちのように後で購入するでも全く問題なしです)
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